大阪に大好きな男がいます。
って危ないな。
前にも書いたけど、ストレートですから。
残念!
昔々、彼が浪人で、美大受験のために東京に来ている時に知り合って、いつも一緒に遊び回ってました。
酒の味を覚えたのもその頃でした。
歳が近かったし、二人とも楽器をやっていて音楽の趣味も合って、好きな漫画家も一緒で、一緒にいる時はギャグの応酬で何時も盛り上がってました。
金は無かったけど、楽しかったですね。
親の反対を押し切って東京に来た彼は何時も金が無く、大学生だった僕もひとり暮らしをしてましたが、実家が東京なので、時々、実家から米を持って行ってあげていました。
日曜日にビニール袋に入れた米を持って行き、彼のアパートに行き部屋のドアを開けると、炬燵に座った彼が、
「あぁ〜、よかった。今、ちょうど最後のラーメンを食べ終わったところだたんや」と、本当に笑顔で喜んでくれました。
自分としては実家から持ってきた米なんで、なんて事もないんですが、彼の笑顔を見たら、こんなことで喜んで貰えて嬉しいなと思いました。
ある時、彼のバイトを探しに付き合って二人で池袋の駅前で求人誌を見ていると、すかさずカモをロックオンした自衛隊のおじさんが勧誘に来たんですが、暇を持てあましてたこっちは待ってましたと、最初は「機関銃打たせてくれ」とか「ミサイル打ちたい」とか、どっかのキャバ嬢みたいに気のある振りで誘っておいて、しまいには「あんたの息子も戦争に行かせて人殺させるの?」って説教までしはじめて、その自衛隊のおじさんが途中で「なんか変だな? しまった!」と気がついたときはもう遅く、可愛そうにアホコンビの暇つぶしに3時間以上も付き合わせて、その人の1日を台無しにしてしまいました。
疲れ果てて帰っていくおじさんのうしろ姿を見て大笑いしてました。<今更ですが、子供でした。ごめんなさい。 (^^;
思い出といったらそういうアホないたずらばかりで、ろくな奴らじゃなかったけど・・・。
東京に来る前に、大阪でそこそこバンドの仕事をしていた彼は、音楽でプロとしてやっていくか絵の道に進むか迷っていて、ある有名なジャズミュージシャンのローディー(楽器を運んだりするお手伝い)のバイトをやっていましたが、受験をする前に東京で明日の見えない貧乏暮らしに疲れ果ててしまい、大阪に帰ってしまいました。
彼が大阪に帰って随分たってから、仕事で大阪に行った時に久し振りに再会し、彼の家に泊まり、思い出話に花を咲かせて二人で夜遅くまで飲みましたが、その時は二人で日本酒を一升半飲んでしまいました。 <朝になってから分かった (^^;
その時は、そんなに飲んだのは生まれて初めてだったので、当然、次の日は仕事にならず、ずっとトイレの中に籠城してました。
仕事上は大失態で、ひんしゅくを買ってましたが、楽しかったので全然凹みませんでした。
彼は東京時代の事を凄く感謝していてくれて、何回か仕事で向こうに行って会った時は、メチャクチャよくして貰って、こっちがヒモみたいで逆に申し訳なかったです。
それからまた、お互いに仕事に追われるままに何年も過ぎてしまいしたが、彼の方は、結婚して好きなイラスト関係の仕事をするようになっていました。
それから何年かして再会した時は子供が出来て、見た目も、昔の面影がないくらい立派なお父さんになっていました。
その彼の家に泊めて貰ったのですが、東京人の僕から見たら、彼の娘はまるで漫画の
ジャりン子チエでした。
物怖じしないというか、東京の子供には絶対ない無邪気さで・・・。
その子に、
「オッチャン」と呼ばれた時は、ドキッとしました。
その頃すでに30過ぎていたとはいえ、いつも女子大生なんかとも遊んでるし、十分イケてると思ってたのに・・・
「俺って。。。オッチャンなんだ」
と、鉄のハンマーで殴られたようなショックでした。
「オッチャン」
大阪の子供には普通だと思いますが、大阪弁独特のイントネーションと響きがハートにぐさりと突き刺さりました。
その子も、変な意味で言ってる訳じゃなくて、父親の友人を普通に、自然に呼んでるんですけど、初めて聞く言葉の響きにすっかりビビってしまいました。
東京の子供に「おじさん」と言われても、「なに〜? おじさん?」と親に分からないように目で威圧するところですが、「オッチャン」という響きは東京人には非常に堪えました。
「そうか、そうなんだ。。。」
今では、なんの抵抗もなくなった自分が怖い・・・。
「おねえちゃん、オッチャンと遊ばへん?」
今でも時々活躍してるボケ防止器